第13章 いやされなかった場合は フランシス著
あなたが知っているすべてのいやしの方法を 信仰を持って行ない、いやしのために用いられた人々によって祈ってもらっても、まだいやされなかった場合、一体どのようにすればよいのでしょうか。
すべての望みが絶たれ、もうあまり時間が残されていない時に、一体どのようにすればよいのでしょうか。
すべての知っていることを行なったにもかかわらず、いやされなかったら、それ以上何ができるのでしょうか。
この数年にわたり、私たちの集会でいやされる人々の確率が だんだん高くなっているのに気づきました。 私たちは多くのいやしの方法を学び、そして 神様が私たちに示してくださった方法を用いたときに、すぐに神様の奇跡の力が働くのを見て、私たちの信仰は大いに強められました。 しかし、私たちの知識や 理解や 見分ける力や 聖霊によって与えられた能力を用いることについては、イエス様がこの地上で働かれていたときのようには、まだ達していません。
私たちがいやしを行なったにもかかわらず、いやされなかった人々には、他の人に祈ってもらうように勧めます。 というのは、神様はある人に 特別な種類のいやしの信仰を与えておられるようです。 もし私たちが、今年成功しなければ、次の機会にもう一度 私たちの集会に来てください。 なぜなら、神様は私たちに、新しい信仰や、新しい方法を 与えてくださり、それによっていやされるかもしれませんから。
かなり以前、私がまだタバコを吸っていたとき、静脈炎のために足に潰瘍を患いました。
何度も何度も、すばらしい方々に祈ってもらいました。 みことばに立ち 告白しました。
チャールズは命令しました。 私も命令しました。 チャールズも私も 手を置きました。
ある時には、全会衆が、私に手を触れて祈りましたが、何も起こりませんでした。
シティー・オブ・ライトの「病人をいやす秘訣」の最後の授業が終わった時、悪魔は私の足にひどく攻撃してきて、私は立つことさえできませんでした。
足の痛みはとてもひどく、立ち上がることも、横になることも、立っていることもできないできない状態でした。
足全体が侵されてしまい、私はいやしの効果が出ないので 自責の念に駆られました。
私は、すばらしい主にある兄弟、ジョン・オースティン師を呼び、すぐに病院に連れて行ってくれるよう頼みました。 彼はすぐ祈り始め、「天の父よ、彼女に何の心の呵責(かしゃく)もなく、病院に行く事ができますように。 すべてのいやしは あなたから来ていることを知っています。 あなたがこのいやしを完成してくださることを 心から感謝します。」と言いました。
何の心の呵責なしに、私はすぐに病院に行きました。 骨の専門医は悪い組織を切り取り、驚いたことに、私の足は全く信じられない速さで 回復しました。 彼らは私は数週間入院しなければならないだろう、と言いました。 チャールズは知恵の言葉をいただき、8日目で良い、と医者に話しました。 そして8日目には、私は退院したのです。
私が入院していたために、私の同室の人がイエス様を受け入れ、彼女の主人も 息子さんも救われ、3人とも、聖霊に満たされました。 私の主治医も、「神様の助けがあったのは 確かです。」と言いました。
ハレルヤ!
ですから、もしあなたが、私のようにすべてを試み 効果がなければ、心に何の呵責も持たずに
医者の助けを求めてください。 私はそうしました。 そして、今では私の足は完全です。
第14章 聖霊に敏感になる フランシス著
私たちは 飛行場や通りに出て行き、病人をいやしたりしません。 なぜなら、聖霊は 自ら備えられた人々を あなたのところに導くからです。 機会が与えられれば、一人であろうと、大ぜいであろうと、教会であろうと、通りであろうと、いやしを行ないます。
ある日私たちは アトランタ空港にいて、ゲートに向かう途中でトイレに行きました。 そこに車椅子に座っていた一人の婦人がいました。 聖霊は、彼女にいやしを行なうように という思いを、私の中に与えてくださいました。 私はこのようなことは普通はしません。
しかし彼女のために祈らなければならない、という強い印象を持ちました。
数か月後に、私を知っている人から新聞の切り抜きが送られてきました。
題には、「サリー・ジョーンズは アトランタ空港で、見知らぬ人よりいやされた。」とあり、次のように記されていました。
「サリー・ジョーンズさんは生まれつきの足萎えでしたが、最近の旅行でアトランタ空港のトイレに行きました。
一人の婦人が彼女に近づき『私の名前はフランシス・ハンターです。 私はクリスチャンです。
お祈りしましょうか。』と言いました。 サリーは、『私はどんなお祈りでもしてもらいたいのです。』と言いました。
『その婦人は簡単に手を置いて、そして部屋から出て行きました。』と彼女は言いました。
その婦人が部屋から出て行った後、サリー・ジョーンズは自分がいやされているのに気付き、車椅子から飛び出して、その婦人に感謝しようとしましたが、すでに群衆の中に紛れ込んでしまった後でした。
サリー・ジョーンズはその婦人の名前しか知りませんでした。」
聖霊の導きに 敏感になってください。
私はただ行って手を置いて祈ったのではないことに注意してください。 私は彼女に
まず自己紹介して、祈ってよいか聞きました。
多くの場合、聖霊の導きに従うことにより、「信仰の賜物」が人々に与えられます。 このことの話をしたのは、たとえどんなに小さな 聖霊の導きでも、聞き従うようにお勧めするためです。
数年前、私たちは西部にいて 集会への期待を話しながら、本のテーブルの所に立っていましたが、9歳か10歳くらいの男の子を抱えて、若い男性が入ってきました。
彼自身も松葉杖をついていました。 私はその男性に どこが悪いのかを聞くと、彼は「レイは生まれつき背骨が悪く、私は彼の両親に彼をここに連れてくるように頼んだのですが、信じていないので、私が連れてきました。」と言いました。
さらに彼は「生まれてから一度も歩いたことはないのです。 けれども神様は必ずいやしてくださると
私は信じています。」と言いました。
私は霊の中で 何かがひらめきました。 私は、「レイ、今夜の集会で私はあなたの名前を呼びますから、その時 席から立ち上がって 前に走ってきてください。」と言いました。 このようなことを自分から話すと問題になりますが、聖霊は私にそのように語ってくださり、私自身とても興奮していました。 レイはずっと後ろに座っており、私は彼を見ることができなかったので、ほとんど忘れていましたが、人々が車椅子から立ち上がり始めたとき、私は振り向き レイを探しました。 しかし見つける事ができなかったので、私は、「レイ、どこにいますか。 イエスの御名により、立ち上がり、歩きなさい。」と言いました。 レイはその集会中 私が呼ぶのを待ち続けていたのです。 私が話し始めると しぎにレイはどこからともなく出てきて、前に走ってきました。 聖霊に敏感になることによる、聖霊による確信は、すばらしい奇跡を起こします。
ある美しい黒人の女性が、車椅子で集会に運ばれてこられたときにも、同じようなことが起こりました。 聖霊に促されて 私は彼女に、「今日の集会で、私は 詩篇23篇を読みます。 『たとえ死の影の谷を歩くことがあっても、』の箇所に来た時、座ったままでいないでください。 その車椅子から出て、教会の周りをできるだけ速く走ってください。」と言いました。 聖霊が私に語ってくださったことを あまり深く注意しませんでした。 彼女は集会中、私から一度も目を離さず、その車椅子に座り 走る準備をしていました。 私は集会の終わりに 詩篇を読み始めました。 そして、「死の影の谷を ・・・ 」に来た時、彼女は車椅子のペダルを蹴って、大声で叫びながら 教会の周りを走り始めました。 私が彼女と通路で会った時に やっと走るのを止めました。 彼女の頭に手を置くと、神様の力で倒され
完全にいやされました。 もう再び 車椅子に戻ることはありませんでした。
二年後に彼女に会いましたが、とても美しく健康的でした。 私が聖霊に敏感であたっために、彼女は「信仰の賜物」を受けたのです。 教会の周りを叫びながら走り回るのはあまり品がないと思われる方もいるでしょう。
しかし、あなたが長年 車椅子の生活をしていやされたなら、どのような反応を示すでしょうか?
ある年、私たちはリゾート地でクルセード(伝道集会)を開いていましたが、その週はずっとすばらしい奇跡が続いたため、最後の夜は、私たちの信仰は本当に大きくなっていました。 聖霊はとても優しく、「今夜、車椅子の人は、全員、歩くことができる と伝えなさい。」と、ささやいてくださいました。 聖霊の声だとわかれば、私はとても興奮し、前もって会衆に 何が起こるかを教えます。 聖霊が、「今」と言われると、私はただ 「車椅子の人全員に、主イエスの御名によって、今 立ち上がり、前に歩いてきてください。」と言いました。
次の60秒は、私の生涯で一番長い60秒だったと思います。 それは一人も動かなかったからです。 私にとって1時間にも感じましたが、たぶん60秒位だったかもしれません。 一番前の車椅子の婦人が立ち上がり、ステージに歩いてきました。 彼女が二、三歩も歩かないうちに、彼女のすぐ後ろの車椅子の人に信仰が湧き、その男性は立ち上がって歩き始めました。 その夜、一人また一人と、車椅子から全員立ち上がって 歩いたのです。 7人でした。 それから、副え木(そえぎ)を付けた小さな女の子がやって来て、チャールズが手を置いた時、彼女の母は副え木をはずし、その少女は普通の人のように歩き始めました。
聖霊に敏感になることによって起こる すばらしいことの一つは、奇跡が次々と起こることです。 ハレルヤ!
神様が語ってくださることに敏感になってください。 神様の声に聞いてください。 いやしについて学ぶのに、これ以上大切なことはありません。
もし神様が語ってくだされば、聖霊とみことばにより、はっきりと神様の声であることが分かります。 もし、あなたが神様の言葉を読まなければ、神様の声を聞き分ける事ができず、悪魔はあなたを騙そうとします。 あなたが神様のことばに時間を費やしているならば、悪魔のことを心配する必要はありません。 思いをいつも 神様のみことばで満たしていることが、病人をいやし、聖霊の賜物を用いることにおいて、とても大切なことなのです。
決して冷めてはいけません。 何度もみことばを読み返してください。 なぜなら、いつも聖書を読むたびに新鮮さがあり、新しい神様の啓示があるからです。
神様に敏感になってください。 いつも、神様の臨在に 敏感に気を配ってください。 そうすれば、どんな小さな聖霊のささやきにも
気づくようになります。
第15章 悪霊を追い出す フランシス著
この題は大変興味深く、興奮させ、大胆で魅力があり、行動的なのですが、同時にとても危険なものです。 あなたは悪霊よりも力を持っているので、あなた自身には危険ではありませんが、バランスを失ってしまう危険があるのです。
「バランスを失ってしまう」とは、「神様は、私を 悪霊を追い出す働きに召してくださいました。」と言わないでください、という意味です。 私たちはイエス様に似る者となるように 召されています。 イエス様こそ完全にバランスの取れた方です。 彼は時間の一部を、霊を追い出すことに用いました。 ですから、あなたがたも 時間の一部を霊の追い出しに用いるべきです。 全部の時間を用いてはなりません。 また、逆に、「悪霊追い出しは、私の働きではありません。 他の人にやってもらってください。」と言うべきでもありません。 なぜなら、あなたの働きの一部は、「悪霊追い出し」であり、
「子供たちよ。あなたがたは神から出た者であり、彼らに打ち勝ったのです。
あなたがたのうちにおられる方は、この世にいるあの者よりも、偉大な方だからです。」 (Tヨハネ4:4)
とのみことばを覚えている限り、恐れる必要はありません。 あなたが出くわす あらゆる悪霊に対して、あなたは権威と力を持っているのです。
イエス様は、悪霊を追い出しました。 病人をいやしました。 教えました。
福音を語りました。 神様のみことばを学びました。 イエス様は多くのことをされました。
ですから あなたが、バランスの取れた働き人や、イエス様と同じ働きをしたいならば、同じことを行なってください。
イエス様がされたすべてのことをする事です。
たぶんあなたは、「私はただの婦人です。 悪霊の追い出しは男性に任せます。 悪霊と戦いたくありませんから。」と言うかもしれません。 あなたは、悪霊と戦う必要はありません。 イエス様は、信じる者は わたしの権威と名を用いて 悪霊を追い出しなさい、と簡単に言われました。 聖書には、悪霊と一晩中戦いなさい、とありません。 簡単に、「私の名で悪霊を追い出し、」とあり、マタイ8:16 には、
「夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。」
とあります。 イエス様は悪霊を追い出すのに、二、三の言葉を語られただけだと、私は信じています。 「あなたがたのうちにおられる方は、この世にいるあの者よりも、偉大な方だからです。」 (Tヨハネ4:4) とのみことばを信じています。 この世のどの悪霊も 私たちほど力を持っていないと、私は信じています。 なぜなら、みことばにそう書いてあるからです。 そしてそれは、同様に、あなたのことでもあるのです。
すべての信者は、イエス・キリストから命令を受けていることを、覚えていてください。
信者として、悪魔があなたにもたらす すべてのものを踏みつぶせる力が、あなたに与えられていることを
信じなければなりません。 ルカ10:19 で、イエス様が言われたことに注意してください。
「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。だから、あなたがたに害を加える者は一つもありません。」
とあります。 問題は、私たちに与えられた力を用いていないということです。 力はすでに私たちの中に与えられています。 力は、上から与えられ、着ていますが、それに手を伸ばして触れるのを 恐れているのです。 また、踏み出して 水の上を歩くのを、恐れているのです。 イエス様が与えてくださった権威を行使するのを、恐れないようにしてください。 あなたが行動するまで、決して悪霊を追い出すことはできません。 最初はちょっと怖いかもしれません。
私もそうでした。
最初に悪霊を追い出すように頼まれた時、逃げ出すこともできたのですが、しっかりと立って悪霊を追い出しました。
その人はアメリカの大きな会社の重役でした。 床で蛇のようにくねりました。
悪霊は彼の首を絞めようとしましたが、出て行った後、彼は立ち上がり、私を見て、「私の中にあんなのがいたなんて
知りませんでした。」と言いました。 彼は非常に高い教育を受け 成功した実業家ですが、悪霊が彼を支配していたのです。
私がしたことを話しましょう。 私の足はがたがた震えていました。 彼が床に寝ていた時、私はただ 立って、「イエス様、イエス様、 ・・・ 」と言い続けていました。 それ以外に何をしてよいか、分らなかったのです。 すでに悪霊に出て行くように命じていました。 それですべてなのです。 なぜなら、イエス様は、
「そして、信じる者には、次のようなしるしが伴います。 すなわち、わたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびを上げて除き、毒を飲んでも決して害を受けず(自分で故意に飲んだ場合はこの限りではありません)、また病人に手を置けばいやされます。」 (マルコ16:17、18)
と言われました。 イエス様はここで、聖書の一部しか信じていない信者については語っていません。
「いやしは弟子たちの時代に終わった。」と考えている人々のことではありません。 聖書のすべてを信じている人々のことです。
イエス様が悪霊を追い出した所を見ましょう。
「群衆の一人が答えた。『先生、おしの霊につかれている私の息子を、こちらに連れて参りました。 霊がこの息子にとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから泡を吹き、歯をくいしばり、体をこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした。』 イエスは答えて言われた。『ああ、何という不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、いつまで、あなたがたに我慢するのか。その子をわたしの所に連れてきなさい。』 そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。彼がイエスを見るとすぐに、霊はその子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげ回った。」
(マルコ9:17−20)
悪霊につかれた人が、聖霊に満たされた人の前に来た場合、ひきつけを起こします。 悪霊は出て行かなければならないことを知っており、とても動揺するからです。 悪霊は、自分よりももっと力を持ち、キリストにあっての自らの権威を知っている人に出会っていることも知っているのです。 あなたが悪魔よりも力を持っていることを 知っているかどうかを、悪魔はよく知っています。 神様の力を持っていながら、弱いクリスチャンであるときもあります。 しかし、もし あなたが、悪魔よりも力を持っていると信じていないならば、悪魔は座り込み、あなたをあざ笑います。 彼は「おまえはその力を持っていながら
そのことさえ知らない馬鹿者だ。 自分の中にその力があることさえ気づいていないのだから、私はお前よりも頭がいい。」と言うのです。
悪霊につかれた人は、多くの場合、悪魔が背後にいて次のように話し始めます。 「私に触れるな。 おまえが嫌いだ。 近づくな。」と。 そういう人は普通、両手を顔の前に交差して、私を見ないようにします。 私はどうするかわかりますか? 悪霊と対決するのです。 多くの場合、私はその人の口に手を置いて、「イエスの御名により、黙れ!」と言います。 すると悪霊はすぐの黙ります。 イエス様は、マルコ1:25で、「黙れ。 この人から出て行け。」 と言われました。 彼らはよく人間の声で話します。 それはその人の思いを支配しているからです。
悪霊の言っていることを聞く必要はありません。 どんな悪霊も私に話しかける必要はありません。 なぜなら私は 悪霊よりも、もっと力があるからです。 悪霊はそのことを知っています。 悪霊を追い出すには 権威が必要ですが、あなたはその権威(=霊的力)を持っていることを 知らなければなりません。
悪霊につかれた人と出会ったとき、悪霊が叫び始めても 驚かないようにしてください。 なぜなら、悪霊は、イエス様を見たときに そのようにしたからです。 あなたがすでに勝利していることを 知っていれば、悪霊が あなたを恐れます。
悪霊が子供を地面に倒した時、マルコの福音書に、このようにあります。
「そこで、イエスが父親に、『いつ頃から、このようになったのですか。』と尋ねられると、父親は答えた。『幼い時からです。 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかし、もし
あなたが できるのでしたら、私たちをあわれんでお助けください。』 イエスは彼に言われた。『もし、あなたが信じることができれば、信じる者にとってどんな事でもできるのです。』 その子の父親はただちに叫んで、涙とともに言った。『私は信じます。主よ。不信仰な私を、お助けください。』 イエスは群衆が駆け寄って来るのをご覧になって、汚れた霊を叱って言われた。『おしと
つんぼの霊よ。わたしがおまえに命じる。この子から出て来い。二度と彼に入るな。』 すると霊は叫び声を上げ、激しくひきつけさせて出て行った。その子はまるで死人のようになったので、大多数の人は彼は死んだのだと言った。 しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。」
(マルコ9:21−27)
時には、悪霊は出て行く前に、身体を傷つけ、地面に倒そうとします。 ただし、私たちが悪霊を追い出す時、その人はよく神様の力に倒され、そして悪霊が出て行くことに気づきました。 このことが先の、会社の重役に起こったのです。 イエス様は勝利されています。
そして私たちも勝利できるのです。
マタイ28:18には、
「イエスは彼らに近づいて来て言われた。『わたしは、天においても地においても、すべての権威が授けられています。」
とあります。 神様は、イエス様に、天においても、地においても、一切の権威を与えられました。 そして、イエス様は振り向いて、 「あなたがたは出て行き、私の権威で、悪霊を追い出しなさい。」 と言われました。 そうです。 イエス様はあなたに、出て行ってもらいたいのです。
しかし、イエス様の 御名と、権威と、聖霊のバプテスマとを受けずに、それをしないようにしてください。 なぜなら、あなたは大きな問題に陥るからです。
ある人々が悪霊を追い出そうとした 面白い話をしましょう。 私が 聖霊のバプテスマを受ける、数年前のことです。 そこで私はそれまで聞いたこともない、ひどい話を聞きました。 その時 私は、悪霊が現実に存在することさえ知りませんでした。 ですから一人の老婦人が悪霊に取りつかれ、解放されるためにキャンプに連れて来られたとのことを聞き、とてもショックでした。 キャンプ場から離れた建物で、悪霊を追い出すわざが行なわれるというので、数人の男性がそこに行きました。 すると間もなく、大きな音と 騒ぎが起こり、他の多くの男性がそこに行き、建物の中に入った時 非常に驚きました。 彼女はいったい何をしていたと思いますか? 彼女は、70〜90キロもある 強くて若い男性を、捕まえては あちこちに放り投げていたのです。 彼女はなぜこのようにしていたかわかりますか? なぜなら、その男性たちは、聖霊の力をもっていなかったからです。 イエス様の権威ではなく、自分たちの肉の力で対処していたからです。 すると何が起こりましたか。 惨めな結果です。 どんな小さな婦人でも、悪霊に取りつかれた時には、力を持っていない人々には
信じられないことをする時があるのです。
悪霊は自分の力を示したがります。 しかし、あなたが、すべての名にまさる御名を用いるとき、彼は逃げなければならなくなります。 イエス様の御名は、他のすべての名に勝る(まさる)のです。 イエス様の名は 癌にまさります。 イエス様の名は てんかんにまさります。 この名こそ、高く上げられた名前です。
キャンプの話題は、もっぱら大きな男性を放り投げた この悪霊につかれた女性のことでした。
彼女は着いた時と同じ状態で 家に帰って行きました。 なぜなら誰も、彼女の中に住んでいる悪霊よりも
強い力を持った人はいなかったからです。 私はどんなに怖かったか、今でも憶えています。
私がそのキャンプ場に行った頃にはその話は誇張されていたでしょうが、それでも身の毛がよだつような話だったのです。
私が今していることを知っていたら と思います。 私が 簡単に、「イエスの名によって、出て行け。」と言うなら、悪霊は出て行かなければならなかったのですから。
この話は、聖書に記されている力を 持たないで、悪霊を追い出そうとした、とてもおかしな話を思い出させてくれます。 使徒19章にある、スケワの7人の息子が、次のように言いました。 「パウロの宣べ伝えているイエスの名によって命じる。」と。 その男の中にいる悪霊は、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。 けれどもお前たちは何者だ。」と言いました。 悪霊は、イエス様と パウロは 権威を持っていることを知っていましたが、その7人の息子たちは権威を持っていないことを知っていたため、その7人を完全に打ちのめしました。 悪霊はとても強いのです。 彼らの服さえ剥ぎ取りました。
これはキャンプ場で、あの小さな婦人を解放しようとした男性たちに起こったことと、同じでした。
服をはぎ取り、彼らを打ち負かしました。 この話をするとき、ちょっとおかしく聞こえますが、それに関係した人々にとっては真面目な話なのです。
私たちは繰り返すことにより学びます。 ですから、マルコ16:17を何度も繰り返します。 それはとても大切なので、よく覚えていなければなりません。 もしあなたが何度も繰り返して聞けば、それはあなたの霊の中に入り、そしてある日突然、「ああ、そのことは覚えている。 私のものになっている。」と思うでしょう。
マタイの福音書に記されている宣教命令は、マルコのと同じですが、ただマルコの福音書ではさらに説明しています。
「それから彼らに言われた。「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、不信仰の者は罪に定められます。 そして、信じる者には、次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびを上げて除き、毒を飲んでも決して害を受けず、また病人に手を置けばいやされます。」
(マルコ16:15−18)
誰の名前で 悪霊を追い出し、病人をいやすのでしょうか。 イエス様の御名です。 いつも、イエス様の御名であることを 覚えていてください。 聖霊によって イエス様が私たちの中に住んでおられることを、いつも忘れないようにしてください。 イエス様はずっと離れたところに住んではおられません。 イエス様は、あなたの家に来て、無理に、あなたを永遠のいのちに導き、宣教命令に従うようにさせません。 イエス様はあなたの中に住んでおられます。
「神は、彼ら聖徒たちに、異邦人が受けるこの奥義がいかに栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。 この奥義とは、あなたがたのうちにおられるキリストであり、栄光の望みのことです。」 (コロサイ1:27)
「もし、イエスを死人の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたの内に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも、生かしてくださるでしょう。」
(ローマ8:11)
とあります。 私たちに必要な聖霊が、私たちの中に住んでおられる ということは、全く疑いもないことです。 イエス様を墓からよみがえらせたのと同じ よみがえりの力が、聖霊に満たされた人々の中に宿っているのです。 この事実をしっかりと、霊の中にとどめ、私たちが全く同じ よみがえりの力を持っていることを、心に留めましょう。
力が弱いのではなく、権威がないのでもなく、イエス様を墓からよみがえらせたのと、同じ よみがえりの力を 持っているのです。 私は持っています。 あなたも持っているのです。 ですから、そのように行動しましょう。
その行動することについて、マタイ12:28、29 は、悪霊を扱うのに知らなければならない
大切なみことばです。 イエス様は、
「しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところに来ているのです。 すなわち、だれでも一番先に、強い人を縛り上げなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができるでしょうか。 縛ってから、初めてその家を掠奪することができのです。」
と言われました。 まずあなたが何かをする前に、イエスの御名により、悪魔(サタン)を縛る必要があります。 あなたがこれをすることによって、ちょうど、サタン(強い人)と、悪霊(癌の霊など)との間の へその緒を切るようなものです。 そして、サタンの手下たちは、力の源を失って、残されてしまいます。 サタンは、「空中の君」(エペソ2:2)であり、堕落した天使の長(イザヤ14:12−15、エゼキエル28:12−19)です。
ある人々は、悪霊と 堕落した天使とは 全く別の存在だと信じていますが、 実は、彼らを
悪魔、悪鬼、堕落天使、汚れた霊 と呼ぼうと、大差はありません。 彼らは皆、サタンの支配下にあります。
なぜならサタンこそ 悪い霊界の支配者だからです。
一度、彼の力が イエスの御名によって縛られれば、サタンの偽りの”権威”が、私たちの中の神様の霊によって取って代えられ、支配されるようになると、今度は 私たちが 悪霊や悪鬼、汚れた霊を、イエス様の権威によって 追い出す事ができるのです。
実際的に見て、不治の病は 多くの場合、悪霊によってもたらされていると、私たちは信じています。 医者が手の施しようがありません、と言う時、私たちの霊のアンテナは、これは悪霊のしわざだと感知します。
たとえば、癌は不治の病と考えられているので、私たちは、これは悪霊が身体を攻撃しているのだ、と
信じています。
癌の霊が どのように働いてくるか説明しましょう。 もしあなたがクリスチャンであれば、悪霊は
あなたの霊の中に入ることはできません。 しかし、あなたの身体や 思い(たましい)を
攻撃することはできます。 悪霊が婦人を見て、「さあ、彼女に癌を起こそう。
かっこうの獲物だ。」と言い、彼女の身体の中に、(霊の中にではなく、)入り、まもなく、彼女は乳がんにかかっているのに気づきます。
医者に行き、そしてパニックに陥るのです。 医者は、「この癌細胞を切り取りましょう。」と言います。
悪霊は手術室まで入り、そこに座って医者をあざ笑い、じっくり見ているのです。
医者がメスを入れると すぐに悪霊は、「さあ、もう一方にも入ろう。」と言うのです。
悪霊はもう一方も侵しているので、そこに座り、手術をしている医者をあざ笑っていると
想像するのです。 彼は大喜びで、「俺をやっつけたと思っているのだろうが、そうじゃない。
もう一方に移っただけだ。」と言うのです。 3年後には、婦人は医者の所に戻り、もう一方に癌を発見するのです。
なぜでしょうか。 それは 悪霊が追い出されていないからです。 悪霊を手術で取り除くことはできません。
次の手術をするときには、悪霊は「さあ、今度は胃か 肺に行こう。」と言うのです。 たぶん、悪霊は、私たちの筋肉や
骨や 血液に 癌の種を植え付け、私たちの上を飛び回るか、たとえ去ってしまっても、癌の種は
破壊的な細胞を急速に成長させ、私たちの身体を滅ぼすのです。
男性は、精子を 女性の子宮の中に植え付けると、その細胞は幼児に成長します。 悪魔は
良いものを、いつも悪くまねをします。 ですから生命の種の代わりに、死の種を植え付けるのです。
多くの病気がこのようにして 私たちの身体に悪霊によって植え付けられるのです。
もちろん私たちは聖書によって、悪霊が、人間の身体をとりこにし、種を持ち込み、その中に住むことができるのを
知っています。 医者や看護師から、骨の髄は血液の、すなわち生命の生産工場であると教えられています。
そして癌患者は よく新しい血液を必要とします。 普通、癌患者に接する場合、祈りは次のようなものです。
「天の父よ、あなたが、すべての敵である悪魔の力よりも、さらに強い力、病に対する力と権威を
私たちに与えてくださっていることを感謝します。 サタンよ、聖霊の力と イエスの御名により、おまえを縛る。 (次に、)癌の霊よ出てこい。 もう戻ってくるな。 おまえを のろう。 この身体の中の 癌の種よ、死んでしまえ。 骨髄よ、健康な血液を生産し、身体のいやしと健康のために 循環せよ。 イエスの御名によって 命じる。」
と、祈ります。
私たちの友人で 聖霊に満たされた外科医は、癌患者に対して 驚くばかりのすばらしい治療の記録を持っているので、多くの癌患者がやってきます。 手術室に彼がいるときは、いつも彼が主治医ですから、彼は患者に手を置いて 手術の前に異言で祈り、そして癌の霊を追い出します。 彼は驚くべき回復の記録を持っています。
なぜなら、命令して悪霊を追い出すと、病気にかかっている部分を取り除くのは
そんなに難しくないからです。
私の友人はすばらしい医者だけではなく、聖霊に満たされ、聖霊の力によりいやしを行なう方ですが、私たち共に悪霊による不治の病について、次のように話してくれました。
「月面を人が歩き、DNAを顕微鏡で見る事ができる今日、私たちに理解できない病
すなわち不治の病は、医学以外の分野に原因があるに違いない。」と。 「医学以外の分野」とは、霊の世界であり、悪霊が原因していると
私たちは信じています。
「私たちの格闘は、血と肉に対するものではなく、さまざまな(悪の)支配と、(悪の)権威と、この暗やみの世の支配者たち、また天上にいる悪霊どもに対するものです。」 (エペソ6:12)
私たちは人々と戦っているのではなく、見えない力と戦っているのです。 人間と戦うような自然の方法では、戦うことはできません。 病気をもたらす悪霊と戦っていれば、あなたは 闇の世界の主権と 戦っているのです。 あなたは見えない何かと戦っているのです。 ですから目に見えることによっては、私たちは 悪霊に対して何の支配も持つことができないのです。 どうぞ覚えてください。 イエス様の御名によって、私たちが悪霊に勝利するのは、超自然の世界です。
悪魔は、2つの箇所に攻撃してきます。 「身体」と 「思い(たましい)」の中です。 悪魔はあなたの「思い」をどんな方法によってでも攻撃し、支配しようとします。 悪魔が最初に攻撃するのは あなたの「霊」ではありませんが、あなたが身体を許し、思いを許すと、次に、あなたの霊に何が起こると思いますか? あなたの霊は 悪魔と共に 堕落していきます。 悪魔はあなたの霊を望んでいますが、まず、あなたの思いを通して攻撃してきます。
その一番良い防御の方法は、あなたの思いの中に みことばをめぐらし、霊の中にしみ込ませることです。 そうすることにより、あなたは悪魔の攻撃に対して みことばを用いることができ、彼に対して、「悪魔よ、見てみろ。
ここに書いてある ・・・ 」と言う事ができるのです。
多くの種類の悪霊がいます。 チャールズと私は、悪霊たちに名前など聞いたりしません。 聖書の中に イエス様が、一度だけ、名前を聞いた箇所があり、彼らは、「大ぜい(レギオン)です。」(マルコ5:9) と、答えました。 イエス様は、続けて「大ぜいの悪霊よ、一人ずつ名前を言いなさい。」とは言われませんでした。 なぜなら 大ぜいとは、数千にも上るからです。 イエス様が座って、4−5千もの悪霊軍団の名前を聞いている姿を想像できますか。 イエス様にはそれよりも、もっと大切なことが多くありました。 イエス様は短い言葉、「行け。」(マタイ8:32)と語られると、彼らは出て行ったのです。 ある時私たちの娘 ジョアンは、大学から電話をしてきて、「今夜はとてもすばらしい聖書研究をしました。 ある人から ”おしゃべりの霊”が追い出されました。」と言いました。 私は、「何の霊ですって。」と聞くと、「”おしゃべりの霊”です。」と言いました。 どうもある人が、あまり話をしないで 口を閉じる必要があったようです。 このことから、ある婦人は、”太る霊”を追い出してもらいたい と言ったのを思い出しました。 それに対し、ある伝道者は 「この種のものは、祈りと断食をしなければならない。」と言いました。
私がバランスについて話したことを憶えていますか。 私たちは極端になり、いろいろな”悪霊の名前”を作ってしまいます。
私は、”日焼けの霊”とか、”凍傷の霊”とか、いろいろな名前を付けるのを聞いたことがありますが、これらのことが、悪霊や悪魔の働きの中に加えられるとは思いません。
しかし、確かに多くの霊があるのです。 イエス様は名前で霊を呼んだのではなく、その「しわざ」で呼ばれたのです。 私たちが 追い出すのに成功した中に、「遺伝の霊」があります。 時々 のろいが 家族にかけられており、家系をずっとたどってみれば、「そうだ、ひい爺さんが呪いをかけた。」という時があり、その呪いが
世代にわたってかけられている場合もあります。
西海岸の集会で、24人兄弟の青年が来ていました。 そのうち14人が、耳しいなのです! これはどういうことなのでしょうか? これは明らかに遺伝の霊から来たのです。 なぜなら、皆が耳しいになるほど 生まれたときの状況や環境が同じであるはずがないからです。 家系に特別な遺伝子があるからに違いありません。 誰が遺伝子を悪くするのでしょうか。 それは悪魔です。 この家系に遺伝の霊が入り込んだので、私たちは彼に手を置いて、神様の力と イエスの御名で、悪魔を縛りました。 そのあと、遺伝の霊と 耳しいの霊を追い出しました。 そして神様に、新しい鼓膜を造ってもらうように 祈りました。 彼は全く聞こえない鼓膜か 欠陥のある鼓膜を持っていたのでしょう。 なぜなら、生まれて初めて、その若者は聞こえるようになったからです。
しかし片耳だけでした。 翌日彼はもう一度集会に来て、前日に起こったことを話してくれました。
彼は聞こえるようになり、とても喜び、集会に来ている人々が食べているレストランに行き、席から席に
「何か言ってみてください。 私は聞こえるようになったのです。」と言いました。
そして家に帰るバスに乗り、運転手に「聞こえます。」と言いました。 とてもすばらしいことです。
たぶん生まれつき聞こえる人にとっては たいしたことではないかもしれませんが、一度も音を聞いたことがない人にとっては、大変なことです。
彼はいつも目覚まし時計に足を縛りつけ、時間が来ると電気ショックで目が覚めるようにしていましたが、翌日彼は「この世で最も美しい音は、目覚まし時計が止まる時の音です。」と言いました。
どのようにいやされたか、注目してください。 まず、神様の力と イエスの御名で、悪魔を縛りました。(マタイ12:29) そして、遺伝の霊と耳しいの霊とを 追い出しました。 そして、創造的奇跡をしていただくように、神様に祈りました。 ヤコブは、
「求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、不適切な動機で求めるからです。」 (ヤコブ4:3)
と言いました。 多くの場合、人々は、イエス様がいやしを行なわれた その方法に従いません。
私たちは 遺伝の霊に出てくるように命じますが、創造的奇跡が起こり 新しい耳が与えられるように祈ることを 忘れてしまうのです。 確かに悪霊は追い出したかもしれませんが、その人はまだ 悪い耳のままで、聞くことができない場合があります。
多くの場合は、悪霊が出て行った直後に、奇跡やいやしはすぐに行なわれますが。
ついでですが、もう一方の耳は 次の夜 いやされました。
いろいろな病人のいやしの方法について話していますが、どうぞ誤解しないでください。 神様はいつも全権を持っておられ、神様はその人の悪い所がどこであろうと、たとえあなたが 足の指の無い人のために「神様、この足の指をいやしてください。」と、祈ったとしても、いやしてくださる方です。 また、たとえその人の足の指が全く悪くなかったとしても、他の身体の部分が悪いかもしれません。
神様はいつも全権を持っておられることを、覚えていてください。 そして神様は、ご自身の望むことを 正確に行なうことができるのです。
しかし、神様は、今日 私たちが体験していること以上のことを、体験してほしいと願っているのです。
私たちの集会中、控え室で、約50人の人々が 13歳の少女から悪霊追い出ししている所に、私たちの娘婿のボブが呼ばれました。 ある人々が大声で 異言を語り、「悪霊よ、彼女から出てこい。」と叫び、また、他の人は「名前を名乗れ。」と叫んでいる間に、何人かの男性が この少女を床に押さえつけようとしていたのです。 あまりにも混乱していたために、その小さなかわいそうな少女は、何かを望んでいたとしても それが何であるかさえ自分でもわからないほど、恐れを感じていました。 ボブは 私たちのチームの一員だったので、呼ばれました。 彼は主導権を握り、すぐに
その少女と 義理の両親以外は、全員部屋から出てもらうようにしました。 それからボブは、優しく
静かに話しました。
ボブは、聖霊の賜物を使ったことがある経験から、このような状況の下で 神様はすべての必要を与えてくださることを 知っていたので、神様に この少女の霊に関する「知識の言葉」を、求めました。 神様は 一言だけ、驚くべき言葉、”ラオ”を与えました。
ボブは、”ラオ”とは一体何なのかを 彼女に聞きました。 彼女は非常に驚き、「どうして彼のことを知っているの。」と言ったのです。
ボブは、神様が与えてくださった、と言いました。 彼女は恐れながら、「私以外は
”彼”のことを知らないはずです。 彼は私のところに来て 力を与え、何をするかを指示します。
名前は ラオです。 そして私に 物や人間を どのように宙に浮かせるかを教え、まじないで
どのように超自然なことをするかを、教えてくれるのです。 私はとても恐いのです。」と言いました。
彼女は、自分が8歳か9歳の時に 悪霊が来て、もし彼に人生をゆだねるなら 特別な力を与えると言いました。 ちょうどエバが 悪魔のうそを信じたように、この少女はうそを信じ 悪魔に応じたのです。 最初、彼女は このような力を持つのは面白いと思いましたが、時が経つにつれ とても恐くなりました。
ボブは彼女に、この悪霊の支配から解放されたいかを 聞きました。 すると彼女は、「悪霊が私を滅ぼさないで、私がこの悪霊の力から解放される、と言うのですか。」と聞きました。 ボブは彼女に、もし本当に解放されたいなら、悪霊が彼女に何の力も用いることができないように、悪霊を縛ることができる、と言いました。 ボブは、イエス様が ルカ10:19で、
「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。だから、あなたがたに害を加える者は一つもありません。」
と言われたことを話しました。 彼女は、「私は解放されたいです。」と答えました。 ボブは、とても優しく、しかも確信と
権威をもって、イエスの御名により 悪霊に出てくるように命じました。 悪霊は出て行き、彼女は
苦しめられていた悪霊から、完全に解放されました。 私は1年後、彼女と会いましたが、すばらしいクリスチャンで、しあわせで、全く恐れは持っていませんでした。
神様に感謝します。 彼女は解放されたのです。 神様のみことばを通して、ボブはその小さな少女の確信を勝ち取ることができ、彼女は自ら自由に彼に話したのです。
もしボブが、彼女の中の霊に 名前を言うように命じたなら、どうなったでしょう。
聖書にはその答えがあります。
「あなたがたは自分の父、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望を行いたいと願っているのです。彼は、造られた時からの殺人者であって、真理に立っていません。彼のうちには真理が無いからです。悪魔が偽りを語るときはいつでも、自身の内側から出ることがらを語ります。それは、彼が偽り者であり、偽りの父だからです。」 (ヨハネ8:44)
もし悪魔が真理を語ることができなければ、どうして私たちは悪魔や悪霊に、名前を聞き、真実を話すように求められるでしょうか。 神様にお願いする方が聖書的ではありませんか。
「私たちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵のことです。それは神が、私たちが栄光に入るように、世々が始まる以前から、予定されていたものです。 ・・・・ そして、神は私たちに、御霊を通して啓示して下さったのです。 御霊は、すべてのものを、神の深みさえも、探られる方だからです。」 (Tコリント2:7、10)
私たちと違った方法で悪霊を追い出している人々を 批判していると思わないでください。 もしあなたが、悪霊に名前を名乗らせることに成功すれば、続けてください。 しかし、もっとやさしい方法を時々やってみてくださいませんか。 もしあなたが、一晩中 悪霊と取り組み、成功すれば、続けても良いと思いますが、私はもっと短い方法を発見し、残りの時間を 悪霊と過ごすより、イエス様と過ごします。
教会が、日曜日の礼拝で、手を置いて祈る、いやしを、信じて行なおうとしないことを、神様は天で悲しんでおられると
私は確信します。 なぜなら、神様はあなたがたがいやされることを 望んでおられるからです。
私たちはあるクリスマスの日曜日に、テキサス州ダラスにある ボブ・ティルトン牧師の 世界宣教センターにいました。 人々はあかしをしていましたが、ほとんど全部が 「繁栄」についてでした。 ついに一人の婦人が立ち上がり、「今年、私は 癌からいやされました。」と言いました。 集会後、私はティルトン師に、「あなたの教会では、あまりいやされる人はいないのですか。」と聞くと、彼は、「多くはいません。」と言いました。 私は「どうしてですか。」と聞くと、「私は よく 神様の健康法を教えているので、いやされる必要がないのです。」と言いました。
神様に感謝します。 教会はこうあるべきだと思います。 私たちは、いやしが必要ないほど
神様の健康を持ち、生活すべきです。
しかし、私たちは、世界中の 神様の健康法を知らない所を訪れて、人々をいやすいろいろな方法を教えているのです。
イエスの御名によって いやされることなど、聞いたこともない人々もいるでしょう。
神様は、
「愛する者よ。 あなたが、たましいに幸いを得ているように、すべてのことにも繁栄し、また健康であるように祈ります。」 (Vヨハネ:2)
と言われた時、神様は私たちに、ご自身の健康の中で生活することを望んでいたのです。 初めて聖霊のバプテスマを受けた時や、初めて病人に手を置くために出かけた時など、神様は時には めずらしい事をされます。 そのことをご存じですか。 たぶん神様は、「本当に私を信じて やっているか。 しばらく様子を見よう。」と言われるのです。
チャールズと私は、聖霊のバプテスマを受けて間もなく、私の故郷の小さな教会で話していました。 そこで一人の男性が、癌にかかっている婦人を連れてきました。 私たちは聖霊のバプテスマを受けたばかりで、ペンテコステでは育っていなかったのです。 私たちは 超自然の働きについては知りませんでした。 神様の力に倒されることなど 知りませんでした。 そのようなことは、私たちにとって全く新しいことでしたが、手を置くと ある人が倒れるのを見るのは、とてもわくわくしました。 教会の通路を歩きながら、人々が神様の力に倒されるのを見るのは とてもスリルに満ち、また 畏れに満ちた経験でした。 私たちはイエス様が成されるわざを見るようになり、それをだれも止めることができないのを知り、とても興奮しました。 チャールズと私は、この癌の婦人に、手を置いて 祈りました。 すると彼女は神様の力に倒されました。 私たちは、「イエス様、感謝します。」と言いました。 彼女は 嘔吐し始めました。 少なくとも彼女はそれを気にしていなかったようです。 私たちも気にしていませんでした。 なぜなら、私たちの内なる霊が、「癌の悪い細胞が出ている。」と語ったからです。 バケツ2杯ほど出ました。 私たちは ただそこに立って、「ハレルヤ! 神様感謝します。」と言い続けました。 あなたがそのような汚い、醜い物が出てくるのを見たとき、それが自分の信仰のテストだと思えないなら、もう一度考え直す必要があります。
あなたがあまりにも女性らしすぎたり、あるいは 誰かが嘔吐するのを そこに立って見るに堪えられなくても、神様は、ご自分の欲せられるように そのことを成される方であることを、私たちに悟らせたいのです。 それは私たちが見たこともないような 汚い物でした。 しかし、感謝なことに、癌は彼女の中から出てきたのです。
神様はいつもこのようにするわけではありませんが、初め、神様は確かに、あなたの信仰を試します。 「あなたは、本当に いやしの働きをしたいのですか。 本当に、このような働きで 良いのですか。」と、神様は聞かれました。
チャールズと私は、「はい。」と 答えました。 私たちは、自分に与えられた働きをしています。
ある夜、大きな近代的な教会での集会後、同時に 700人以上の人がいやされました。 聖霊に満たされた一人の男性が来て、「神様のいやしの力について全く知らない。
教会の管理人に、どう説明しましょうか。 癌患者の吐いた物が 床にいっぱいありますから。」と言いました。
私は、エミー・センプル・マックファーソンの幾つかの集会では、人々が吐いた癌細胞を処理するために、一輪車やシャベルを準備しなければならなかったと、何度も聞きました。
それに顔をそむけないでください。 癌細胞があなたの手の中に吐き出されるようになるのです。
あなたに何が起こるかわかりますか。 神様の霊がその時あなたに臨み、あなたはその癌細胞を見て、「ハレルヤ!」と叫びます。
なぜなら 癌細胞は死んで あなたの手の中にあるからです。 もはや誰かの体内に生きているのではありません。
あなたは誰かに手を置いて、あなたの手の中に 汚い癌細胞を 吐き出してもらいたいですか。
これが現実です。 たぶんあなたは、生きるとは、すばらしいレストランでステーキやロブスターを食べることだと思っているのでしょうか。
それだけではありません。 本当に生きるとは、あなたの手の中にそういうものを残したとしても、病人がいやされ、悪霊が出て行くのを見ることなのです。
私たちは、人々がいやされ、解放されるとき、あまり吐いたのを見たことがありませんが、このことが起こっても
驚かないでください。
イエス様が死からよみがえられた時、完全に、永遠に 悪魔に勝利されました。 悪魔は敗北した敵であるということだけを 思ってください。 出て行って、「悪霊につかれたあの女性の目を通して
私を見ている霊は、私の中にいる方よりも強い。 だから、逃げた方が良い。」とは思わないでください。
決してこのように考えないでください。 悪魔は、永遠に敗北した敵であることを
覚えていてください。
もう一度忠告しましょう。 解放の働きは、人々に真の自由を与えるものであり、とてもすばらしいことです。 しかし、悪霊がどこにでもいるというような、偏った見方をしないようにしてください。 私たちは、シティー・オブ・ライトに 新しいカーペットを入れましたが、どこも、けばけばしています。
それは、カーペットの”けばけばの霊”ではありません。 それは新しいカーペットを敷いたら起こる現象で、毎日掃除機をかけない方が良いのです。
私の言っていることがわかりますか。
悪霊を追い出す時と、場所が、はっきりとあります。 あなたの周りには、本当に生きている多くの悪霊がいるので、走り回って悪霊を追い回す必要など、ありません。
あなたの助けになる忠告をしましょう。 時々お母さんが、子供を連れてきて、「この子は悪霊につかれています。
どうしてよいか全くわかりません。 解放が必要です。」と言います。 彼女は、大声を上げ
大あばれしている子供を、抱えています。 とても暴れているので、私たちは近づくことさえできません。
ある日、神様はなぜ ある子どもはこのようになるかを、教えてくださいました。
有名な力のある伝道者が来て、あなたが知らないことについて あなたに強く手を置いて、「悪霊よ、彼から出てこい。」と言ったらどうでしょうか。
たぶんあなたは とても恐がり、すぐにその場で 生涯決して祈ってもらわないと
決心するでしょう。
最近、9歳か10歳の男の子を連れた母親がやって来て、その子を私に差し出して、「この子は47の悪霊を持っています。
追い出してください。」と言ったことがあります。 その子は私のことをとても恐がっていましたが、私を見るとお母さんから離れて
広い講堂をとても速く走り回り、誰も捕まえることはできませんでした。 彼は大声で叫びながら走っていましたが、私には
恐れている 普通の子のように見えました。
神様は私に、「この子は、愛に満ちた父なる神の いやしを、受ける準備ができていない。」と 語られました。 神様は私に、「もし誰かが 自分を床に置き、10人の大人が上から押さえつけようとすれば、どのように感じますか。」と聞かれました。 私ならきっと、大声で叫んだり、暴れたり、蹴ったり、できる限りのことをして、逃げようとしますが、私は悪霊につかれているのではないのです。
一人の男性が私と同じように感じ、翌日彼は この子供と一緒に座り、大きな愛をもって、この子の記憶から 不注意な取扱いのために受けた心の傷がいやされるように、祈りました。 この子は、悪霊から解放されたのではなく、愛によって自由にされたのです。
チャールズ著
フランシスと私がこの本を書くとき、神様の方法は私たちに決して理解できない事、そして、彼の知恵と力は、あらゆる可能性をはるかに超えて現わされ、私たちはその一部しか体験していないということを、いつも覚えていました。(イザヤ55:8、9) 神様にとっては、宇宙を創造することや、星を正確な軌道に乗せることなどのあたりまえなことも、私たちにはその一部さえ理解できないのです。
私たちは、単に神様が行なわれ、私たちを通して神様が成されているいろいろな方法を、あなたがたに教えているにすぎません。 その中の多くは、みことばにすでに記されている事と、とても似ているのです。
私たちは悪霊を追い出す方法の、いろいろな例をこの本で書いています。 疑いもなく数えきれないほどの多くの方法がありますが、私たちの中に与えられている 聖霊の力と、イエスの御名と、イエス様の権威で 行なわれるということに、結論付けることができます。 この他のすべてのことは、私たちがあなたを励まし、人々が光の国に導かれるために、圧迫されている人々を解放するイエス様の命令を、実践する方法を教えているにすぎません。
ある一人の婦人は、3年間おなかに痛みを持っており、あらゆる医者に診てもらいましたが
誰一人としてその痛みの原因を発見できませんでした。 多くのカリスマ集会で祈ってもらいましたが、痛みは取れませんでした。
私たちの医学のために、神様に感謝します。 しかし私は、「もし医者が原因を発見できなければ、悪霊のしわざに違いない。」と思いました。
なぜなら、聖霊のバプテスマを受けていない医者は、悪霊が痛みを起こす事ができるなどの、超自然的理解を持つことができないからです。
私は彼女に、痛みのある箇所に手を置くように言い、彼女の手に上に私の手を置き、サタンを縛り、主イエスの御名により「痛みの霊」に出てくるように 命じました。 私は彼女から痛みが去ったのに気づきました。 そして彼女に何が起こったかを聞きました。 神様は彼女に霊の目を開いてくださったに違いあるません。 それは、私が、「出て行け。」と言ったとき 彼女は、「大きな蛭のような多くの足のある生き物が、私の中から出てきて 空中に漂い、遠くに去っていきました。」と言ったからです。 すぐに痛みは全部 無くなりました。 彼女を解放してくださったイエス様に感謝します。
数か月後、奥さんがおなかに痛みを持っている友人の 訪問を受けました。 彼女は多くの医者に行きましたが 全く原因がわからず、そして何度もいやしのために祈ってもらいました。 状況は、前の婦人と同じ状態でした。 彼らは600キロメートルも離れたところに住んでおり、その友人に奥さんに電話を掛けるように言いました。 私は奥さんに解放について説明し、痛みのある所に手を置いてもらいました。 私は サタンを聖霊の力で縛り、「痛みの霊」に イエスの御名により 出て行くように命じました。 「何が起こりましたか。」と聞くと、彼女は、「もう 痛みはありません。」と言いました。 神様に感謝します。 遠く離れていても、イエス様の権威を用い、敵を追い出すことに 何の違いもなかったのです。
また、この 痛みの霊を追い出された二人の婦人は、聖霊に満たされたクリスチャンでした。 耳しいの霊、おしの霊、目しいの霊や、その他 イエス様が呼んだ霊は、信者から追い出す事ができます。 もう一度言いますが、悪霊はクリスチャンの霊の中に入ることはできませんが、身体や 思いを 攻撃することができます。 イエス様が呼んだ悪霊などが、人間の中に住んで、痛みを起こすという証拠はありません。 単に身体を攻撃し、また身体の中に癌を植え付けたりすることができるのです。
ある日、私は 右足を膝の上から切断した男性と、話をしました。 その夜、彼は祈ってもらいに来ましたが、右足に痛みがあると言いました。 私が手を置いたとき、突然、彼には右足が無かったことを思い出し、「どういう痛みですか。 右足に痛みがあるのですか。 あなたは右足がないと言ったでしょう。」と聞くと、彼は、「はいそうです。 医者はこれを”錯覚の痛み”と呼ぶのです。」と答えました。 脳に痛みを伝える神経は 全くないのだから、これは、「錯覚の霊」だ、との思いが来ました。 私はイエスの御名で、錯覚の霊に出てくるように命じると、すぐに痛みはなくなりました。
さらに神様は「知識の言葉」を語ってくださり、その痛みはもう二回戻ってくるが 彼がそのつど 痛みを叱れば、その後はもう決して痛まない、ということでした。
翌日彼はやって来て、「あなたの言った通りでした。 二回戻ってきました。 そのたびに叱ると、痛みはなくなりました。」と言いました。
すべての痛みは悪霊からでしょうか。 いいえそうではありません。 もしあなたが熱いストーブに指を入れたり ナイフで切ったりすれば、痛みが来ます。 もしこのようなことが起これば、イエス様の御名でいやされるように命じ、痛みを叱ってください。
イエス様がペテロのしゅうとめのところへ行ったとき、熱病にかかっていました。 イエス様は彼女の手を取り(彼女に触れ)、熱病を叱ると、熱病は去ったと記されています。 私の娘ジョアンは、十代の時に 親知らずを2本抜いてもらいました。
私が仕事から帰ってくると、麻酔薬が切れて泣いていました。 私はあごに触れ、「(抽象名詞に対して)痛みよ、イエスの御名で
おまえを叱る。」と言うと 痛みは去り、それからはもう痛みませんでした。 これは霊ではありません。 手術のために 痛みがあったのです。
私は世界中の人々に話しましたが、神様の力が流れるときは 人々は神様の力に敏感に応じ、すばらしい奇跡のあかしをします。 悪霊は 神様の臨在に我慢できず、すぐ人間から出て行きます。 ある夜、群衆は、神様の力で倒され、大ぜいの人々がいやされていました。 知識の言葉が私たちを通して働いたとき、後ろの方から 恐ろしい叫び声が聞こえてきました。 ある人が、救われていない友人を ダンス会場から集会に連れてきましたが、悪霊は 神様の力に我慢できずに、命令もされていないのに その人から出て行ったのです。
私たちが あの破壊者、盗人である悪魔に 捕らわれている人々を、神様が私たちに提供してくださっている栄光から 永遠に失われる前に、彼らを勝ち取ろうと できる限りのことをするのは、とても重要なことです。 私たちが 神様から選ばれた特別な民であることを 十分理解し、そのすべての神秘さに気づき、神様が私たちに望んでおられる すべての幻を持つことができたらと思います。 神様は私たちが 悪魔に縛られていることを望んではいません。
ご自身の、聖い、すばらしい力によって、解放されることを望んでおられるのです。
出エジプト記5:1 に、
「イスラエルの神、主は こう仰せられます。 『私の民を行かせ、 ・・・ 』」
とあります。 神様は、悪魔に支配されたパロの力から、ご自身の民を解放しています。 そして神様は私たちに、悪魔に支配されているこの世から 人々を解放しようと 願っておられます。
私の経験した 最も美しい解放は、私の事務所で起こりました。 何度も自殺を試みた一人の若い婦人が、私の事務所に連れて来られました。
彼女は自殺をすると決心していました。 そして 完全に 「自殺の霊」に支配されていました。 彼女は聖霊に満たされたクリスチャンのカウンセリングを受けました。 内なるいやしを受けました。 祈ってもらい、悪霊を追い出す試みもなされました。 それでも彼女は、自殺を決心していたのです。 彼女は人生に対して、とても強い憎しみを持っていました。 自らを滅ぼしたいという願いは、表情にはっきりと表れていました。 彼女は精神病院に隔離され、そこでも自殺を試みました。 そして姦淫の罪さえ犯しました。
私たちは、神様が与えてくださった愛と あわれみで彼女を取り扱い始め、とてもやさしく、神様は、彼女を愛しており、神様のために生きてもらいたいこと、永遠の天国で共に暮らしたいこと、を話しました。
また、悪魔が彼女にそのような敗北感を与え、憂うつにさせていることを話し、神様は
平安と幸福を この地上においても与えてくださる方である、と話しました。 天国はとてもすばらしい所で、地獄はどんなに恐ろしい
苦しい所であるかを 説明しました。 そして彼女が、”地獄”よりも悪い状態でありことを話しました。
それから、もし彼女が イエス様に赦しを祈るならば、イエス様はすべてを赦し、彼女からすべての罪を取り除いてくださる、と言いました。
彼女は泣きながら、「私はとても混乱していて、どうしてよいかわかりません。」と言いました。 私は、彼女が”混乱している”と言ったのは、彼女でなく彼女の中に悪霊が、彼女の思いと口とを用いている、とうことを説明しました。 もう一度私は、悪魔は 彼女に自殺をしてもらいたいと願っており、そうする事で 彼女を地獄で永遠に支配し、もはや悪魔の支配から解放されることはないようにと願っていることを、とてもやさしく話しました。 そして、私はもう一度、彼女に、苦しい地獄に行くか、永遠の平安と 天国の喜びに入るか、選択するように言いました。
また彼女は泣きながら、「考えることすらできません。」と言いました。
彼女は椅子に座り、私はその前に立っていました。 私は彼女のあごの下に手を置き、目を見ることができるように、顔を上げさせました。
神様の霊は、自殺によって神様から彼女を奪おうとしている悪霊から、何とか彼女を奪い返そうとする強い願いと、超自然的な愛を
私に与えてくださいました。
私は、「私は、あなたの口から 私に話しかけている悪霊が、出て行くように命じます。 そして、出て行くと、あなたはイエス様を受け入れる決心ができるように しっかり考えることができます。」と言いました。 ほとんどささやくように、しかし 力と権威をもって、私は、「悪魔よ、聖霊の力と イエスの御名により、おまえを縛る。 自殺の霊よ、憎しみの霊よ、彼女から出てこい。」と言いました。 叫んだり、大声を出したり、戦ったり、吐いたり、反抗したり
するような、見える形ではありませんでしたが、やさしく、確信をもって、しっかりした声で、イエス様が私たちに用いるように言われた命令が下されると、その若い婦人の顔だちが瞬間的に変わりました。 彼女の顔には平安が訪れ、目には優しさが現われ、その変わりようはとても大きく、ちょっと前のあの憎しみに満ちた、悪霊に支配されていた
同じ女性とは、思えないほどでした。
それから私はやさしく、「『イエス様、私の罪を赦してください。』と告白してください。」と彼女に言うと、彼女は悪霊に支配されているのではなく、心から彼女自身の声で、とても力強く そう告白しました。 「イエス様、私の心の中に来てください。
そして私を、あなたの望まれる女性にしてください。 天のお父様、あなたを愛します。
イエス様、あなたを愛します。」と言いました。 数分後には、彼女はイエス様を愛し、神様を霊の父として愛し、聖書と
私たちの本を持って、事務所から出て行きました。
「そして、イエスのところに来て、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になって座っており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。」 (マルコ5:15)
イエス様、感謝します! 憂うつ感や、圧迫感は 悪霊によって影響されている 心の状態です。 悪霊は人間の思いを操り、その結果、あなたに汚れた思いを持たせる能力を持っています。 ですから、それは憂うつ感や圧迫感を起こし、思いを攻撃することができます。 普通それは、自己中心的な心から生じます。
「怒っても、罪を犯してはいけません。 憤ったままで日が暮れることがないようにしなさい。 悪魔に機会を与えてはいけません。」 (エペソ4:26、27)
聖書には怒りを制しなさいとあります。 それは、自ら進んで 怒りを制する事ができる、という意味です。 もし 意識的にすすんでしなければ、悪魔の働きに足場を与えることになり、それが私たちの思い、そして ついには、たましい、霊を完全に支配してしまう悪霊によって、憂うつ感を持つようになります。 そうなると、私たちの中には イエス様の居場所はなくなってしまうのです。 レギオンの悪霊が追い出された人は、その後 正常な心になりました。 これは、悪霊に取りつかれた人は、悪霊によって思いを支配されている ということなのです。
人々がサタンとその道に従うようになるのは、なぜでしょう? 神様が私たちをこれほど愛してくださっているのに、どうして人々は「憎しみの霊」に身をゆだねるのでしょう。
神様と共に住む永遠の故郷を選ばず、永遠の苦しみを 自らすすんで選ぼうとするのは
なぜでしょう。
「泥棒が来るのは、盗み、屠殺(とさつ)し、破壊するためです。 わたしが来たのは、羊に永遠のいのちを持たせ、しかも、非常に豊かに持たせるためです。」
(ヨハネ10:10)
サタンは私たちの思いをくらまし、彼の道が一番すばらしいと思い込ませるのです。
もし私たちが 悪魔のうそを信じるなら、私たちのたましいを神様から奪い去り、滅ぼし、殺すよう、悪魔に対し、私たちが招き始めたことになるのです。悪魔はよく
”悪い態度”を通して、これを行ないます。 ”悪い態度”は悪霊ではありません。 しかし、それは悪魔の活動に足場を与えます。 悪い態度は、悪霊のように追い出す必要はありません。 しかし私たちは、神様の力で それに勝利していかなければなりません。
悪魔はエデンの園で、エバにうそをついたとき、エバはそれを拒否するか、信じるかを 選択する事ができました。 彼女は悪魔に足場を与えてしまい、悪魔は彼女を神様から奪い去ってしまったのです。 サタンは 上手に彼女の思いを通して足場を作りました。 こうかつに 彼女の思いに、考えや言葉を入れ、彼女はそれを信じてしまったのです。
あなたが悪霊からの解放をしているとき、まず彼らがイエス様を心から信じて、救われているかどうかを、聞いてください。 真に生まれ変わっているなら、「イエス様は、私の主です。」と言う事ができます。 しかし、もしそう言うことができなければ、悪霊を取り扱う必要があります。 そういう人々には、”悪い態度”について聞いてください。 たぶん、彼らは、悪い態度を取り除くために、単に正しい教えが必要なだけかもしれません。
「そこで、あなたがたに言っておきますが、神の霊によって語る者はだれも『イエスはのろわれよ。』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である。』と言うことはできません。」
(Tコリント12:3)
ある夜、一人の婦人がフランシスのところに来て、とても悲しい話をしました。
彼女は、「私はすばらしい先生方に祈ってもらいました。 でも、なぜ私は あなたのところに来たのか
わかりません。 私はタバコの霊を追い出してもらい、私はニコチンの霊を追い出してもらいました。
私に 主からの言葉がありますか。」と聞きました。 フランシスは、「はい、あります。」と言うと、彼女は「何ですか。」と聞きました。
フランシスは、「止めなさい。」 と言いました。 その婦人はとても驚きました。
多くの場合、単に私たちの責任であるのに、悪魔や悪霊の責任にしてしまっているときがあります。 伝道者から伝道者へ、説教者から説教者へ、集会から集会へ走り回り、問題が人の側にあるにもかかわらず、すべての集会で解放の祈りをしてもらうのです。 自分を偽っているのです。 ただ”悪い態度を”止めなさい。タバコを捨て、もう決して買わず、悪霊のせいにするのを止めなさい。 もし、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、神様とイエス様があなたに望んでおられることに従いたいと願えば、罪を犯したい という願いは 全く無くなります。 罪への願いは、神様の方法が最高であると信じる事ができないという、一つの現われなのです。 神様はそれを嫌われます。 しかしあなたが、神様に喜ばれることをしたいと思う時、それは神様を喜ばせます。
「私はこう言います。 御霊によって歩きなさい。 そうすれば、決して肉の欲を満たすことはありません。 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、また御霊は肉に逆らうからです。こうして、二つのものは互いに対抗し、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないのです。 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいません。 肉の働きは明白です。 すなわち、不倫、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、魔術、 敵意、争い、激しやすさ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、殺人 泥酔、遊興、 そのようなたぐいのものです。 私は以前にも前もって言ったように、今もあらかじめ言っておきます。このようなことを行なっている者たちは、神の御国を相続することはありません。」
(ガラテヤ5:16−21)
このみことばから、これらの”態度”は、私たちの 「古い自我」がそのように望んでいるために、私たちの中に入ってくるのだ ということに気づかれるでしょう。 これは悪魔が、あなたのたましいを神様から引き離すために、あなたの中にどのように足場を作るか、という 一番やさしい説明なのです。
悪魔のわなを逃れる ただ一つの方法は、同じ5章の 残りの部分に記されています。
「しかし、御霊の実は、 愛、喜び、平安、忍耐して待つこと、親切、善良であること、忠実、 柔和、自制 であって、これらを禁止する律法はありません。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、様々な色情や願望と共に十字架につけてしまったのです。 もし私たちが御霊によって生きるならば、御霊によって進もうではありませんか。 互いに挑発し合い、互いに羨ましがって、虚栄に走ってはいけません。」
(ガラテヤ5:22−26)
私たちが 神様のご性質と反する思いを許せば、その思いが大きくなり、私たちの一部となります。 私たちの内なる欲求は、その思いをコントロールするために、聖霊に支配していただくか 悪魔に支配させるかの どちらかにまかせるのです。 否定的な、古い性質の思いを止めれば、悪霊があなたの心の中に働きかけることを、ほとんど止めることができます。 悪霊は一瞬のうちにあなたを支配することはできません。(イスカリオテ・ユダのように時間を掛けます(筆者注)) しかし少しずつ支配し、もはや神様に対する願いさえなくなるように、働き始めるのです。
「それゆえ、神に従いなさい*。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さいます。罪ある人たち。手をきよめなさい。二心の人たち。心を純粋にしなさい。」 (ヤコブ4:7、8)
これは誰についてでしょうか。 私たちにです。
フランシスと私が結婚する前に、私が公認会計士として働いていたとき、ヒューストンからある所へドライブしていました。
日は照り、とても気持ちよく、神様を賛美しながら 生きる喜びをかみしめていました。
まぶしいほど日が照っているある駐車場に止まり、車から出て昼食をとるために歩き始めました。
私は完全に神様に捧げきっており、数か月間にわたり、多くの時間を みことばに費やしました。
すべてが完全で とてもすばらしかったのです。
しかし私が自動車から出た時、暗黒と 憂うつ感が、私を襲い、すべてが間違っていて、すべての愛が私からなくなり、喜びも平安も失い、私のすべてが崩れ落ちていくように感じました。 一体何が起こったのかわかりませんでした。 あまりにも突然だったので、私は瞬間的に、何が起こったのか見分けようとしました。 しかし、私の思いは 神様のみことばで満たされており、聖霊によって支配されていたため、私の願いは自分を喜ばせることではなく、神様を喜ばせることであるという、みことばをすぐに思い出しました。 私は、「神様、もしこれが悪魔からでしたら、彼を追い出し、私をあなたに引き寄せてください。」と祈りました。 すぐに、すべての暗黒と
憂うつ感と 空虚さは、風のように去りました。 悪魔は私の思いをとてもひどく攻撃したので、実際 風のように感じ、私の中からゆっくり出て行き、だんだんとすごいスピードで空のかなたに消えて行きました。
悪魔は悪霊を私に遣わし、私のたましいの中に入り、支配し、私が心から愛している神様から離そうとしたのです。
「というのは、神のみことばは生きていて、力があり、両刃(もろは)の剣よりも鋭く、それぞれ、たましいと霊、また、関節と骨髄を、分割するまで刺し通し、心の考えやはかりごとを判定することができます。」 (ヘブル4:12)
悪霊に対する最大の武器は、神様のことばです。 ですから、日夜 神様のみことばを黙想する必要があり、イエス様について考え、自分の益のためではなく 何をしたら神様に喜んでいただけるを 考えるべきです。
「私たちは、肉にあって歩んでいますが、肉に従って戦っているのではありません。 私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の力によるものであり、要塞をも崩すほどのものです。 私たちは、あらゆる思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高慢の障壁を引き倒し、すべての思想を捕らえてキリストに服従させ、」 (Uコリント10:5)
最初に悪霊が攻撃した時こそ、追い払う時です。 あなたの思いや考えの中にサタンの足場を作らせないでください。 予防薬は、病気を治す薬よりももっとすばらしいものです。 神様のみことばは、悪魔の影響や 支配や 所有に対して、私たちの免疫になります。 悪霊が、思いや 内なる欲望の中に植え付けたものから、感染を防ぐ予防接種として、神様の性質を私たちに中に植え付ける必要があります。
悪霊は目に見えず、肉体を持たない生き物で、サタンが望むところへ移動する能力を持っています。
私たちの上を飛び回り、周りから攻撃し、私たちの心に敵の思いを入れ、身体に病気をおこし、頭を狂わせ、ついには気違いにしてしまいます。
私たちの誕生の時もいて、母の胎内で形作られるときもいて、奇形を起こします。 いつまでも生きることができる霊的存在で、世代から世代に移り、遺伝子の中に働き、奇形や病気をおこします。 私たちの肉体に対抗し、たましいを支配しようとします。 ですからできる限りの理解を持ち、どのような攻撃に対しても、聖霊にどのように追い出すかを 教えてもらわなければなりません。
私たちやあなたの働きは、私たちの同胞を 悪魔の影響と 支配と 策略から解放し、いかにして自由であり続けるかを教えることなのです。
「病人をいやし、らい病人をきよめ、死人をよみがえらせ、悪霊を追い出しなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」 (マタイ10:8)
神様は、人々が すばらしい力を持って出て行くように準備されていると、私は信じています。
神様は人々がいやされ、解放されなければならない必要があることを 知っておられるのです。
神様はご自分の民に、
「血肉に対する戦いではなく、主権と力の戦いに喜んで出て行く 多くの人々がほしい。 イエスの御名によって出て行き、私の栄光のために 病人に手を置き、いやしを行なう人々です。 そして彼らは、勝利を得る者となります。」 と言っているのです。
世界中の至る所で、「誰か私に福音を伝えてください。 どのようにいやされるかを教えてください。」との声があるのをご存じでしょうか。 ですから外国に行ったときには、病人をいやすのはとても易しいのです。 神様を賛美します。 彼らはとても単純に信じるのです。 そして病人をいやすことが 好きになります。 私たちの友人は、ハイチから戻ってきましたが、彼は、「多くの牧師でも聖書を持っていません。 それは文字が読めないからです。 けれども、次のようなみことばを与えることができます。 『病人に手を置けば、いやされます。』や『信じる者には次のようなしるしが伴います。 主の名で悪霊を追い出す事ができます。』などです。 彼らは走って行きます。 彼らはこのようなみことばを受け、病人に手を置くと、すばらしいいやしが起こります。 一度みことばを聞くと、決して疑ったりはしません。 ただそれを実行するのみです。」 と言いました。 私はこの本を読んだハイチの人々が 実行するのを待ちきれません。
そして私たちに手紙が寄せられ、「私は多くのところに行きました。 あの外国にも行き、あの国にも行き、至る所で人々はいやされました。」と言うのを。
これは実際には起こらないと思われるでしょう。 しかし、私は 心の底からこれを信じています。 私は 神様が、実行する人を選び、一度も想像していなかったところへ導き、病人をいやす器として用いられる、と信じています。 これはあなたのことなのです!
(筆者注 追加のみことば)
「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩き回るが見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家は空いていて、掃除がされ、飾りつけがしてあった。 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れて中に入り、そこに住み込む。 そうすると、その人の後の状態は、初めよりももっと悪くなります。 この邪悪な時代も、このようになるでしょう。」
(マタイ12:43−45)
・・・・ このみことばは、間接的には当時のイスラエルが、不信の罪のゆえにバビロン捕囚となり、その帰還後、反動で、最悪の律法主義に陥ってしまったことのたとえです。
しかし、直接的には、 フランシス師の語られる通り、悪霊追い出しには、はっきりとした「時」と「場所」があることを表しています。 その時、「救い」、「きよめ」、「聖霊のバプテスマ」などの霊的刷新が伴い、内に住まわれる聖霊様がおられると、その解放は完成します。 もし、タイミングでないときに追い出しが成され、悔い改めない、あるいは救われないままでいると、中は空っぽなので、悪霊が仲間を連れて舞い戻り、前よりも悪くなることがあります。